東南アジアの⾷に関するコラム



食のストリートファイター
2023.06.20
2023年18号コラム
若い頃より世界中で食べ歩き、まるでインディー・ジョーンズの映画の世界ではないが、これまでに食べたこともなく、到底食べたくないものを、ひと思いに思い切って食べた経験もある。(注:トルコのストリートで食べた羊の脳みそ(そのままの形)は、口に入れると、豆腐の冷奴ようで超美味!)このようにして、私は、かなり若い頃から未知の食べ物に挑戦する「食のストリートファイター」を自称して、多少うぬぼれていた。
現在でも未知の食べ物には大いに興味があり、想像を絶する食べ物でも「エイヤ」と思い切って食べてみると、これが案外美味しかったりして、その密やかな発見に一人にんまり笑みを浮かべてしまうことがある。しかし、実際には、食事の美味しさに感動した時ばかりでなく、食後にとてつもない腹痛と吐き気に襲われたこともある。それでも、性懲りもなく、我慢できず新たなものをまた試している。「食のストリートファイター」とは聞こえは良いが、単にアジアのストリートに並ぶ屋台好きの人間だけだということかもしれない。
現在でも未知の食べ物には大いに興味があり、想像を絶する食べ物でも「エイヤ」と思い切って食べてみると、これが案外美味しかったりして、その密やかな発見に一人にんまり笑みを浮かべてしまうことがある。しかし、実際には、食事の美味しさに感動した時ばかりでなく、食後にとてつもない腹痛と吐き気に襲われたこともある。それでも、性懲りもなく、我慢できず新たなものをまた試している。「食のストリートファイター」とは聞こえは良いが、単にアジアのストリートに並ぶ屋台好きの人間だけだということかもしれない。
屋台のどこが良いかというと、言葉が通じなくても、現物を目で見て指差しで注文できることだ。次に、料理人のおばちゃん(タイなんかだと、大抵働き者の女性がシェフで、屋台ごとに味の異なるご飯や、クイティアオ(注:タイ・ラーメンのこと)を、自動的に調味料を添えて目の前に出してくれる。次に、食べ散らかしても文句など決して言われない。私は、大抵どんなものでもきれいに平らげるが、たとえ残したとしても決して文句など言われない。むしろ、足りないくらいの量で出してくるので、晩飯の梯子はざらで、いつでも食べたい時に食べたい量を食べることができる。第3に、驚くほど安い。だから、好きなだけ食べても、客の方から「こんなに安く提供してくれてありがとう」と感謝の気持ちがわいてくる。
嫌いなものを、沢山出されて、悪戦苦闘するファイターもいるだろうが、私の場合は、東南アジアで美味しいものを腹八分目どころか2~3人分食べる戦いを滞在中延々に続け、一度この世界にはまってしまうと、もうこの世界から抜け出せなくなるのではないかと、恐怖に慄く「食のストリートファイター」になってしまう。