東南アジアの⾷に関するコラム

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青くて未成熟なバナナで貧困からの脱却を夢見る人々

2023.08.09
2023年50号コラム
フィリッピンは、島嶼国であるためか、期せずして、9人乗りぐらいの小型ジェット機に乗る機会が多々ある。今から凡そ15年前のその当時も、私は、青空を背景に聳えるアポ山(注:ミンダナオ島にある海抜2954mの山)を右手に見て、大きく弧を描くように旋回すると小型ジェット機は徐々に高度を下げていった。私は飛行機の窓外から美しい山々と青い海の景色に食いるように見入った。程なく、飛行機は「Datu Paglas(自治名)」の小さな飛行場に降り立った。バナナのプランテーションは、「La Frutera」の名称の下、John Perrine氏(Unifrutti社の当時の社長)とToto Paglas氏(Datu Paglas市の市長)の大きな努力で約27年前に開始された。プランテーションの規模は、全体面積約1400ヘクタールで、1000メートルの舗装された滑走路を持っていた。
私がここにご招待いただいたのは、友人である故天野洋一元ミンダナオ日本人商工会議所会頭のお力によるものであった。同氏は、古くからダバオで、ミンダナオ紛争による犠牲者や貧困者を救済すべく活動されていた方で、私も絶えず同氏の活動を心から支援し続けていた。この地を訪れた目的は、同じ飛行機で訪れた衛生放送専門家(日本の某大学の教授)で、この地において、より水準の高い教育を実施するための衛星放送の設備設置の可能性を探るためと、日本に輸出する高品質のチキータ・バナナのプランテーションの視察をするためであった。何も特別な産業がないイスラム自治市にある村興しを支援して、根本的に貧困から解放させるためには、第1に人材教育。第2に熱帯農業産品を育て上げることが重要だと考えられた。こうしたことで、「武器を鍬に変え、平和な世の中」(注:故天野氏はこの言葉を口癖のように発していた)にする。2度と殺戮の起こさないようにするということは、政治の駆け引きだけでなく、こうした地道な民衆のロードマップを辿ることが、遅いようで、かなり手取り速いことを、天野氏は良くご存じであった。そのためには、多くの人にその現状を見てもらい、多方面からこの支援要請を行っていた。当時の訪問は、その意味合いもあって、学校教育の現場とバナナプランテーションの作業状況をたっぷりみせていただいた。
紹介された関係者(自治市の幹部、関係者ら)は目を輝かして、将来に対する期待感で胸が一杯に膨らんでいるようだった。誰もが、我々を笑顔で迎え、何も知らない子供達までこの異邦人である我々を笑顔で取り囲んだ。この人たちが、ミンダナオの利権抗争に翻弄され、経済発展に取り残されていくことはなんとしても、阻止しなければならない。こうしてプランテーションの視察中、試しに食べた美しいバナナは出荷前なので、きれいに洗浄され、透明な包装紙に包まれてはいたが、当然のことながら、未熟の青いバナナで、口中に苦みが広がり、まだ甘味が乏しいものであった。
やがて、これらのバナナが、大量に積載され、日本へと順調に輸出されるようになると、この自治市の経済発展に大いに寄与し、村民は「武器なくして」平穏な生活を生きてゆける。が、その後、こうした経済発展の期待感は裏切られ、このプランテーションは、3年ほど前に、Unifrutti社のトップと経営方針が大きく変わったため、活動が停止され、バナナの生産は完全に止まってしまった。
2019年2月、ミンダナオ紛争は終末を迎えたが、この地の貧困は依然として改善されないままである。いつか、故天野氏が望んでいた、貧困の無い社会が実現することを祈るのみである。