東南アジアの⾷に関するコラム

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欧米と東南アジアの食文化の決定的な違い

2023.08.01
2023年41号コラム
私は仕事の関係で長い間欧米に居住してきた。また、アジアについても、マレーシアとフィリッピンを基点として、他のアジア諸国もいくつかの都市において、大規模なレセプションのアレンジを経験したことがある。それにより、欧米と東南アジアの食文化の違いを常々感じてきた。これに中南米、アフリカ、中近東、オセアニアなどを加えると、話が複雑になりすぎるので、分かり易くするために、これ以上地域は拡げないで、本コラムの対象は欧米と東南アジアの食文化の違いに絞ることとしたい。
   欧米と東南アジアの世界の食文化の決定的な違いは、歴史、マナー、調理器具、サービス、食器など様々な違いはあるが、その決定的な違いは、端的に言えば、その「活気」の違いにあると考える。欧米文化の中で、これまで私は多くの知人、友人、家族から食事会に数えきれないぐらい招かれた。その経験から得た知識というか慣習は、出席者(招待客)は、極めて控え目かつ他の出席者に対する思いやりを持った態度で、他の出席者に接し、食事会を無事終わるようにしていることだ。
方や、東南アジアでは、例え多くの人が集まるレセプションだろうが、招待された食事会であろうが、多少オーバーアクションをして、笑い又は笑わせ、食事をほめちぎるのも大声で構わない。多くの人が、このような楽しそうに活気の中でふるまうなら、食事会の時間はとてつもなく早く終わる。逆に、この食事会をアレンジする側に回ると、出席者の食が進み過ぎるので、用意した食事が途中でなくならないよう絶えず気をもんでなくてはならない。
  他方、欧米では、沢山の食事を作り、提供すれども、出席者は一応に食事ももちろんだが、会話を楽しむので、食事は食べきれず、残ることが多い。残りはスタッフに折詰にして託したことがごく普通だった。このような決定的な違いを、端的に一語で整理すると、欧米の食文化は「静」で、東南アジアの食文化は「動」で象徴されると思う。
これはどちらが良いか、悪いかの問題ではなく、食事や会話の中身を重視するか、その場の雰囲気を優先させ、食事も会話も全体的な捉え方をする文化・観点の違いによるものだろう。
  この観点から、一品一品に料理時間がかけて丁寧に作られた欧米料理に奥行きのある味わいが生まれ、その場の雰囲気をなごませるのに対して、東南アジアは、例えば大きな「豚の丸焼き」などに皆が一斉に感嘆の声を上げ、これを契機として、出席者が饒舌になり、幸福な雰囲気を醸し出す。この決定的な食文化に対する違いを認識することは、食事会に「客」を招く場合の不可欠な要素として考えなければならないだろう。私は、この両方の食文化の狭間で、招待する側にもまわってアレンジした経験から、食事の本質は、全て「客」本位にあらねばならいというのが鉄則だと考えている。