東南アジアの⾷に関するコラム



東南アジアの屋台料理を食べ歩いて早30余年
2023.04.01
2023年1号コラム
今は昔、私は学生時代フランスのニースに留学していました。30年以上前のことになります。その頃ニースでは2店ほどの日本料理店がありました。そこで見た光景には驚きました。ワサビをたっぷりそのまま口に運ぶお客さん、エクスプレッソ珈琲と日本酒を同時に嗜むお客さん、みな一様に口から吹き出して、周囲の人と共に笑っていました。フランスの方を決して馬鹿にしているわけではなく、それほど昔は日本料理をどのように楽しめるかを知らなかっただけなのです。
それと同じことが、日本でも起こり得ます。確かにアジア国籍のシェフが作った、ましなアジア料理を提供する店は、多くなってきました。しかし、日本人の食生活を無視して。やたらに自国の味にこだわって、食事を提供したりしています。お客さんの日本人も口に含んだ飲食物を吹き出しこそはしませんが、これが本場の味と、したたり顔で食しています。
「食の原点は、庶民の生活にあり」と常々私は思っています。アジアの屋台料理を食べ歩いてから、既に30年以上になりますが、今でも、屋台料理が無性に恋しくなり、現地に行くとほとんどが屋台で食べています。年柄年中真夏なのに、なぜ屋台料理は、材料が傷まず、いつ行っても美味しいのか?そこには、百年以上にわたり、冷蔵庫もなかった時代の庶民シェフの「知恵」が隠されているのです。これを、日本人を取り巻く環境、気候、風土、文化に合わせることは私の永遠のテーマです。ただ単に儲けて、家族の下に仕送りしたり、お土産を買って帰れれば良いと考えるその場シェフには、思いつかない盲点だと思っています。
東南アジアの珈琲もそうです。東南アジアの珈琲豆の美味しさに気づかず、中南米やアフリカ産の珈琲豆が、世界の常識(スタンダード)であるかのように思い込むのは、珈琲豆の産地の現状と潜在能力を知らずに珈琲を楽しむからなのでしょう。料理然り、珈琲然り、広く目を開き、東南アジアの新しい魅力に迫ろうではありませんか。
東南アジアの珈琲もそうです。東南アジアの珈琲豆の美味しさに気づかず、中南米やアフリカ産の珈琲豆が、世界の常識(スタンダード)であるかのように思い込むのは、珈琲豆の産地の現状と潜在能力を知らずに珈琲を楽しむからなのでしょう。料理然り、珈琲然り、広く目を開き、東南アジアの新しい魅力に迫ろうではありませんか。