東南アジアの⾷に関するコラム

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旧ソ連に抑留されたタシケントの日本人

2023.08.02
2023年43号コラム
随分前のことになるが、私は仕事でウズベキスタンのタシケントとサマルカンドを訪れたことがある。サマルカンドは、ご存じの通り、1370年にティムールが建国し、14世紀の後半に中央アジアから西アジアを支配したティムール大帝国の首都だ。私が出席した国際会議は現在の首都タシケントで開催されたため、1週間ほど綺麗な街並みのタシケントのホテルに滞在した。タシケントの街中は、極めて整然としていて、道路の道幅も広く、石造りの建物も大きくて、噴水もあちこちにあり、いかにも旧ソ連が作った街並みであった。街中を歩いているとロシア語が飛び交い、在留する多数のロシア人も目についた。
食事は、国際会議の主催者側が用意してくれたものなので、典型的なウズベク料理である、プロフ(肉、野菜を混ぜた炊き込みご飯)、シャシリク(肉の串焼き)、ラグマン(日本のうどんと似た麺に肉と野菜をぶっかけたもの)などであった。どれも美味しかったが、当時私は中近東の料理は以前から食べ慣れていたので、印象は薄かった。むしろ、1947年に建設されたナヴォイ劇場の上階に韓国人のオーナーが経営していた韓国・日本食レストラン(注:現在はもう閉鎖されている)が私の印象に強く、深く残っている。こんな遠くにまで来て、なぜ韓国人が出す日本食? が、そこには特別な意味があった。この劇場の建物自体が、 第二次世界大戦後タシケントに抑留された日本人が建設に携わったからだ。芸術的にも極めて美しく、この建物の中で食事がとれるとは夢にも思っていなかった。
旧ソ連は、第二次世界大戦が終わった後、満州(現中国東北部)や朝鮮半島北部にいた日本兵ら約60万人を連行し、強制的に自国や衛星国のインフラ整備に従事させた。中でもウズベキスタンには約2万3000人が、主に発電所やダム、住宅などの建設ために使役された。この劇場も日本人が、捕虜の身でありながらも日本人としての誇りを生涯捨てず、死ぬまで、この僻地で非常に頑強で芸術的にも優れている建築を行った。これは、ウズベクの人々には広く知られていることで、現在でも親日感情が良いのはこのためだ。
また、この店のオーナーもそうだが、韓国人の姿も多く見られた。その理由は、大陸続きなので、強制移住させられた韓国人も非常に多く、タシケント市内のミラバット・バザール(生鮮食品の市場)に行くと、豆腐、米、もち米をはじめ、韓国醤油や韓国味噌、豚肉等韓国食材までも買うことができるほどだ。このようにして、北東アジア人(特に日本人や韓国人)の当時の戦後社会の並々ならぬ生き様を聞き、同時にその努力の賜物である素晴らしい出来栄えのナヴォイ劇場を目のあたりにして、そこでの日本食の味はともかく、このレストランの食事は、一生忘れられない思い出となった。