東南アジアの⾷に関するコラム



ベトナムの珈琲産地を巡る旅から
2023.06.02
2023年2号コラム
ベトナムと言えば、燦燦と輝く太陽の下、山々が連なり、ハロン湾に代表される静謐な港湾風景が次々と思い起こされます。人々が住む街並みは整っており、賑やかな市場で買い物をしながら、路上屋台でベトナム料理を食べ歩くのはこの国でしか味わえない旅の醍醐味です。これらに加え、この国の珈琲店や珈琲産地を巡ったりすることが、私にとって旅の楽しみを増幅させており、自然この国を何度も訪れることになります。
ベトナム産の珈琲の独特な味わいが、どこから生まれており、これがどの様に、スタバやシアトル珈琲などの欧米人好みの珈琲のベースとして使用されていくのか、この謎解きを解明するために、これからも私はまだ何度でもベトナムの珈琲産地を歩くことになると思います。
だいぶ前(まだ世界がコロナ禍に見舞われる前)の年に、私は、ベトナムのローカルバスに長時間揺られ、年3回ほど立て続けに、珈琲産地を訪れました。珈琲の木が栽培されている耕作地が広がり、珈琲栽培者達が笑顔で珈琲の木の間から手を振ってくれました。その奥には、広大な敷地に区分された珈琲豆が天日干しにされ、工場の中で、大きな平たい笊に盛られた珈琲豆を従業員の女性が丁寧に選別をしていました。
巨大な焙煎機やら、選別機は、珈琲の出荷直後だったのか稼働こそはしていませんでしたが、ここが、世界中の珈琲店に届き、多くの人にベトナム珈琲の深みを拡販する源となっているのかと感極まりましたと、感想ばかり述べていても、面白みがないでしょうから、ここでの驚きの商談の一端をお聞かせします。
ベトナム産の珈琲の独特な味わいが、どこから生まれており、これがどの様に、スタバやシアトル珈琲などの欧米人好みの珈琲のベースとして使用されていくのか、この謎解きを解明するために、これからも私はまだ何度でもベトナムの珈琲産地を歩くことになると思います。
だいぶ前(まだ世界がコロナ禍に見舞われる前)の年に、私は、ベトナムのローカルバスに長時間揺られ、年3回ほど立て続けに、珈琲産地を訪れました。珈琲の木が栽培されている耕作地が広がり、珈琲栽培者達が笑顔で珈琲の木の間から手を振ってくれました。その奥には、広大な敷地に区分された珈琲豆が天日干しにされ、工場の中で、大きな平たい笊に盛られた珈琲豆を従業員の女性が丁寧に選別をしていました。
巨大な焙煎機やら、選別機は、珈琲の出荷直後だったのか稼働こそはしていませんでしたが、ここが、世界中の珈琲店に届き、多くの人にベトナム珈琲の深みを拡販する源となっているのかと感極まりましたと、感想ばかり述べていても、面白みがないでしょうから、ここでの驚きの商談の一端をお聞かせします。
ベトナム珈琲豆はそのほとんどがロブスタ種で、大規模になされている先ほどの産地、焙煎等の工場はこの品種を扱っています。が、品質の良いアラビカ種の生産も近年では徐々に増産されています。私が訪れた会社は、社長の背後にUCCからの感謝プレートがあったほどですから、日本にも多く輸出されていると思います。私は、この会社のアラビカ種を仕入れたいと言いましたら、社長がのっけから生豆1キロにつき6ドル(当時のレートで換算すると600円ほどです)でした。これに輸送コストや税金等が加わりますが、日本で売られている(その約10倍の)市場価格は、余りにも高い。高すぎる!!!と私は心の内で叫びましたが、それとは裏腹に、にっこりそれで充分ですと答え、私は本音を隠してその場を立ち去りました。
このような驚愕の価格でも彼ら、生産者は十分に満足しており、輸入業者から最終消費者まで珈琲で幸せな気分に浸れる社会の現行メカニズムを私が故意に崩しても始まりません。私の目的は、珈琲を軸にいかに多くの人にこうした幸せに浸ってもらうか、なのであり、価格革命を起こすことによって、現行秩序を乱すことではありません。いずれにせよ、「珈琲は人なり」で、珈琲生産者の美しすぎる笑顔を見て、ベトナム珈琲を飲むたびに、彼らの笑顔を思い起こし、また次回もベトナムの珈琲産地を訪れたくなります。
このような驚愕の価格でも彼ら、生産者は十分に満足しており、輸入業者から最終消費者まで珈琲で幸せな気分に浸れる社会の現行メカニズムを私が故意に崩しても始まりません。私の目的は、珈琲を軸にいかに多くの人にこうした幸せに浸ってもらうか、なのであり、価格革命を起こすことによって、現行秩序を乱すことではありません。いずれにせよ、「珈琲は人なり」で、珈琲生産者の美しすぎる笑顔を見て、ベトナム珈琲を飲むたびに、彼らの笑顔を思い起こし、また次回もベトナムの珈琲産地を訪れたくなります。