東南アジアの⾷に関するコラム



ビレイハウスの絶品和風カレー
2023.07.29
2023年39号コラム
カレーほど不思議な食べ物はない。カレーに入れる具材、スパイスやベースの味、調味料等、全てシェフの匙加減次第で、本場インド風、和風、欧風、中華風、マレー風、タイ風と様々な味わいが生まれ、どんな味わいになろうとも、誰にでも好かれる。どのような風味になっても、「カレーはカレーであり続け、それが揺らぐことはない」。どんな風味になろうとも、人は皆一様に「美味しい」と言い、喜んでおかわりを繰り返す。
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今から数年前の夏、私は仕事帰りに、タイ・バンコックのスワンナブーム空港に降り立った。そこで、十数年おつきあいをさせていただいている、私が最も尊敬する先生と落ち合った。待ち合わせ場所の空港ロビーには、先生の他に、助手兼コーディネーターの女性1名(タイ人の方)が笑顔で待ち受けていた。とにかく、待ち合わせ時間と場所を間違えずに、何とか二人に落ちあうことができたことに緊張感が急激にほぐれ、この時の他の全てことが全く今では思い出せない。私を含めた3人は空港からすぐにタクシーに乗り込んだ。ミャンマー国境までのみちのりは結構長かった。途中、スーパーマーケットに寄り道し、肉から野菜、調味料などの食材等を予約していたらしく、優に50人以上は食べられるほどの量を、車のトランクに積み込んだことだけはしっかりと覚えている。
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今から数年前の夏、私は仕事帰りに、タイ・バンコックのスワンナブーム空港に降り立った。そこで、十数年おつきあいをさせていただいている、私が最も尊敬する先生と落ち合った。待ち合わせ場所の空港ロビーには、先生の他に、助手兼コーディネーターの女性1名(タイ人の方)が笑顔で待ち受けていた。とにかく、待ち合わせ時間と場所を間違えずに、何とか二人に落ちあうことができたことに緊張感が急激にほぐれ、この時の他の全てことが全く今では思い出せない。私を含めた3人は空港からすぐにタクシーに乗り込んだ。ミャンマー国境までのみちのりは結構長かった。途中、スーパーマーケットに寄り道し、肉から野菜、調味料などの食材等を予約していたらしく、優に50人以上は食べられるほどの量を、車のトランクに積み込んだことだけはしっかりと覚えている。
ビレイハウスはミャンマーとタイの国境沿いにある小さな村落の一隅に、周囲の自然に溶け込むかのようにひっそりと佇んでいた。すぐ近くには、国境となる河が流れ、その向こうにミャンマーの緑の木々に覆われた山々が連なっていた。ハウスの入口にある大きな門を通ると、その奥にも更に道が続いており、余りにも広いため、どこまでビレイハウスの敷地なの容易につかめない。ともかくも、入口を入った右手の一番大きな建物、そこがハウスの住人全員が集う場所であることは、大きなテーブルと沢山の椅子があるため、一目瞭然であった。その奥も案内してもらったが、大きな厨房、沢山に分かれた寝室、勉強部屋、遊技場などがどれも整然とされていた。
我々がハウスに昼過ぎに到着すると、先ずは、ここの館主であるビレイ牧師に紹介された。そして厨房で料理を補助する女性が2~3名、清掃人などがいた。皆一応にタイの地方の人が着る一般的な衣類を纏い、笑顔で挨拶を交わした。一通り案内と挨拶が済むと、夕食を作るまでの時間がかなりあったので、ビレイ牧師が畑を案内してくれることになった。
ビレイ牧師は下半身が不自由な方で、にも拘わらず荷車付きのバイクの運転をして、ハウスが土地を無償で借り受け、栽培しているというかなり広いキャッサバ畑の周囲を、私を荷台に乗せ、周遊してくださった。常に、口には笑みを絶やさないが、眼光は鋭く、意思の強さを表していた。キャッサバは順調に育っており、もうすぐタピオカとして、販売できると仰っていた。日本でタピオカブームに火が付く半年前のことである。
我々がハウスに昼過ぎに到着すると、先ずは、ここの館主であるビレイ牧師に紹介された。そして厨房で料理を補助する女性が2~3名、清掃人などがいた。皆一応にタイの地方の人が着る一般的な衣類を纏い、笑顔で挨拶を交わした。一通り案内と挨拶が済むと、夕食を作るまでの時間がかなりあったので、ビレイ牧師が畑を案内してくれることになった。
ビレイ牧師は下半身が不自由な方で、にも拘わらず荷車付きのバイクの運転をして、ハウスが土地を無償で借り受け、栽培しているというかなり広いキャッサバ畑の周囲を、私を荷台に乗せ、周遊してくださった。常に、口には笑みを絶やさないが、眼光は鋭く、意思の強さを表していた。キャッサバは順調に育っており、もうすぐタピオカとして、販売できると仰っていた。日本でタピオカブームに火が付く半年前のことである。
畑の視察が終わって、ハウスに戻ると、小学生から高校生までの、ここの寄宿生達が順次帰ってきていて、にぎやかになっていた。
ビレイ牧師は、数十年前に単身象にまたがり、ミャンマーの国境を越えて来た方で、この施設を立ち上げ、親に捨てられるなど境遇に恵まれない子供達の面倒をボランティアで見始めた。先生は、ビレイ牧師のことを知るや、米国から何度も訪れ、この施設の多大な資金援助と子供達が学校に行けるように援助を単独で開始して現在に至っている。
食事まではまだ時間あるので、奥手の別棟にある礼拝所で、ミサをやることになった。子供達は、常に最低20数名はハウスに寝泊まりしており、その全員が礼拝所に集まり、ビレイ牧師の電子オルガンの演奏にあわせて讃美歌を歌った。この時ばかりは、子供達全員が神妙な面持ちとなり、純粋な心が見て取れた。
さて、メインイベントの夕食だ。全員が食堂に集まり、お祈りの後、そこに用意された「カレーライス」を食べ始めた。先生が最終的な味付けしたようで、和風カレーの味がした。辛いタイカレーではないが、先生の国のカレーということで、全員が「美味しい、美味しい」と言って、嬉しそうに食べていた。
★★★★★
カレーほど食べる際の周囲の環境に影響され、しかも多くの人数で食べるほど、「美味しさ」が数倍にも倍増する食事はないものだと、いつしか学生時代の給食の雰囲気をなつかしく思い出していた。彼らの屈託ない笑顔の背景には、今までの辛い過去の経験から、ビレイのおかげで逃れられたという心の底からの安堵が窺われる。皆で「和風カレー」を頬張る、子供達の笑顔を私は一生忘れないだろう。自然の中で子供達が無事成長し、やがて順調に社会に巣立つことを切に祈るばかりだ。
ビレイ牧師は、数十年前に単身象にまたがり、ミャンマーの国境を越えて来た方で、この施設を立ち上げ、親に捨てられるなど境遇に恵まれない子供達の面倒をボランティアで見始めた。先生は、ビレイ牧師のことを知るや、米国から何度も訪れ、この施設の多大な資金援助と子供達が学校に行けるように援助を単独で開始して現在に至っている。
食事まではまだ時間あるので、奥手の別棟にある礼拝所で、ミサをやることになった。子供達は、常に最低20数名はハウスに寝泊まりしており、その全員が礼拝所に集まり、ビレイ牧師の電子オルガンの演奏にあわせて讃美歌を歌った。この時ばかりは、子供達全員が神妙な面持ちとなり、純粋な心が見て取れた。
さて、メインイベントの夕食だ。全員が食堂に集まり、お祈りの後、そこに用意された「カレーライス」を食べ始めた。先生が最終的な味付けしたようで、和風カレーの味がした。辛いタイカレーではないが、先生の国のカレーということで、全員が「美味しい、美味しい」と言って、嬉しそうに食べていた。
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カレーほど食べる際の周囲の環境に影響され、しかも多くの人数で食べるほど、「美味しさ」が数倍にも倍増する食事はないものだと、いつしか学生時代の給食の雰囲気をなつかしく思い出していた。彼らの屈託ない笑顔の背景には、今までの辛い過去の経験から、ビレイのおかげで逃れられたという心の底からの安堵が窺われる。皆で「和風カレー」を頬張る、子供達の笑顔を私は一生忘れないだろう。自然の中で子供達が無事成長し、やがて順調に社会に巣立つことを切に祈るばかりだ。