東南アジアの⾷に関するコラム

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バリ島の民族舞踊と伝統料理が演出する異次元空間

2023.08.08
2023年49号コラム
  私は、若かりし頃、「何物」もおそれていなかった。暗い夜道、ジャカルタの街路を歩いていても、あちらこちらに多数ある陥没した舗装道路の穴に足を踏み外すことなく、強盗に襲われることもなく無事歩きに歩いた。また、ジャカルタからボロブドゥール近郊の駅まで列車で行ったが、列車の車両連結部分の床が錆び落ち、トイレに行くのにも大変危険な状態であったが、これも旅の醍醐味と左程気にも留めず無事旅を続けた。正に、若気の至りなのだろう。まあ、こんなことを恐れても仕方ないことであるが。
  それにも拘わらず、旅行中、「晴天の霹靂」ともいえる事件が私に起こった.。鉄道の駅から世界遺産ボロブドゥール遺跡に行く途中のローカルバスの車中で、持ち金等を盗まれてしまった。相手はプロの5人集団。一人が私の気をそらし、他の一人が私のバックをナイフで手早く切り、落ちてきたカメラかフィルム、財布など金目の物を素早く他の一人が回収。見事な連携プレーで、私が気が付くや否や、リーダー格が口笛を吹き、バス停でもないのに、5人の盗人は慌てて降車し、蜘蛛の子を散らすように八方に逃げ去った。
  私は、かろうじて残ったクレジットカードとパスポートで、その先の旅を続けることが出来たが、怖い物知らずの私もさすがに落ち込んだ。ともかくも間違いだらけの綴りで、警察リポートを作ってもらい、被害届を作成。その後の気持ちたるや、折角のインドネシア料理も喉は通るも、味わうことはまるでできなかった。というわけで、この後遺跡をまわって、バリ島のウブドに宿泊し、ロンボク島に高速艇でたどり着き、ジョグジャカルタに飛行機で飛ぶまで、インドネシアという国がずっと恐ろしくて、私の世界観はまるで一変してしまった。ともかく、折角の観光だけが目的の旅が不運に見舞われたが、ウブドのレストラン内、ろうそく明かりの下、食べたインドネシアの伝統料理の味。それと、その後に見た民族舞踊であるケチャクダンスの衝撃的なリズムは、盗難事件によってかなりすさんだ私の心を一時的にせよ、唯一いやしてくれるものだった。幻想的な音のするガムランが鳴り響くとその場は全く異次元の空間に迷い込んだように、踊り手たちが刻む神秘的なリズムと、観賞する観客の熱気に包まれる。この伝統舞踊は、美しいというより、輪になって踊る半裸のダンサー達の強烈なリズムと「チャッ、チャッ、チャッ」という合いの手が一体となって、激しくもせつない気迫すら感じられる。相当古くから繰り返し実施されているので、構成も素晴らしく、一度始まると決して飽きさせず、観衆は相当長い間この舞踊に釘付けになってしまう。
  私は、旅行中の不幸をも忘れ、こうした民族舞踊と伝統料理に浸ったが、何もかもを一時の間忘れさせてくれ、観衆をも、極めてパワフルでかつ集中力を要する不思議な世界に引き込まれる。外国人に対してその国の文化をこれ以上に印象付けるものはない、と今でも当時のことを忘れることはない。