東南アジアの⾷に関するコラム

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ダッカより「カレー愛」をこめて

2023.06.22
2023年20号コラム
ダッカより「カレー愛」をこめて

ダッカは、バングラデッシュの首都である。私は、これまでの生涯でアジアの最大貧国と言われる「バングラデッシュ」と、中南米でも同じように言われる「ハイチ」に、それぞれ2回ずつ訪れたことがある。かなり以前のことなので、社会・経済事情は現在と比べ、だいぶ変化したと思うが、政情については貧困を背景として相変わらず不安定な状況が続いているようだ。話はそれるが、興味深いことに、「ハイチ」には、バングラデッシュから多くの軍人が、治安維持の担い手である国連軍として、「出稼ぎ」(注:あまり使いたくない言葉だが、両国の経済の貧困事情を背景として、国連の高い給与を海外で稼ぐため国連軍に参加させることは至極当然ことだ。)していた。ここでは、この「アジアの最貧国」に赴いた当時のエピソードを記載する。
ダッカより「カレー愛」をこめて

ダッカ市内の賑わい

先進7か国の一国である「日本」から出向いた私には、確かに食事をとるにしても限られた私が宿泊していた高級ホテルぐらいしかなかった。この国は、首都ダッカに限らず、地方に出ても、人口密度が爆発的に高く、どこに行っても、人、人の波が押し寄せていた。ダッカの町の歩道には、テントさながらにビニールシートの一片を壁に固定させ、子供から親まで家族の全員が路上生活しているのはごく当たり前の風景であった。歩道を歩くのにも、まるで日本の海水浴でビーチを歩くように人をかき分け、歩かなければならない。それも、人力車と自動車が巻き上げる「ほこり」の中を突き進む。それでも、私は、どこかに屋台がないかと市場を目指し、一人もくもくと歩き続けた。暑い。強烈な太陽が照り返す燃え上がるような熱気が、ほこりの中に舞っている。
市場には屋台らしきものはまるで見当たらない。切った肉と魚、野菜などが雑然と積み重ねられているだけだ。どこの国でも市場には貧弱な安食堂ぐらいはあるものだが、社会の底辺に生きる貧しい人にとっては、市場の屋台で食事をすることも難しいようだ。しばし歩き回ると、名前は忘れたが、中流ホテルを見つけた。もちろん一般の人が入れないように警備員が鉄格子の入口を閉ざしていた。警備員に、私は日本人で、ホテル内のレストランで食事をしたい旨告げると中にいれてくれた。いざ、レストランの中のテーブルにつき、メニューを見ると、あるのは「カレー」だけだった。この国の人々の食事の最後のよりどころはきっと「カレー料理」なのだろう。私が注文した「カレーの定食」は昔学生時代にヨルダン人の友人が作ってくれたものと同じ味で、スープ状のカレーに小間切れにした草(ハーブ)だけが入ったものだ。これをライスにかけて食べた極めて質素な昼飯となった。
  後日、ロンドンで、仲の良かった金持ちのバングラデッシュ人に、同国人の貧困ぶりを語ると、「怒り」をかった。ここで弁解しておくが、私は現実を語っただけで、この国の貧困さを嘆いたわけでも、侮辱したわけでもない。ただ単に、世界中の人々の食事の最後のよりどころは、きっと「カレー」なのだということを言いたいだけだ。
  それから十数年が経った。現在日本には、バングラデッシュ人を含め、多くのアジア人が働きに来て、カレー店を東京で経営している。メニューも豊富で、日本人に限らず同国人も、その多種多様なカレーを楽しんでいるようだ。私は、この国で「カレー」を食べた十数年前の経験から、「カレー」は彼らにとってまさしく「生きる最後の砦にある糧(かて)」なのだと、その時以来ずっと思い続けていることを最後に申し添える。