東南アジアの⾷に関するコラム



スリランカの敬虔な仏教徒と稲妻に引き裂かれる夜空
2023.07.20
2023年30号コラム
旅行好きの人に、これまでに訪れた国でどこが一番良かったですか?という質問は良くきかれる。この質問に答えるのに私は、非常に窮してしまう。では、この質問はどうだろうか?初めて訪れた国で、どこが一番なつかしい気がしましたか?パラドクサルな質問だが、私は即座に、スリランカとフィリッピン・ダバオの空港に降り立った時のことだと答えられる。今回のコラムのテーマはスリランカなので、ダバオは別の機会に譲る。
さて、スリランカがなぜ、なつかしい気がしたかということだが、それは国民が敬虔な仏教徒であることに関係していると思う。私が、仕事でスリランカを訪れた頃、同国ではまだ「タミール・タイガー」というテロ集団が暗躍しており、不穏な空気が流れていた。それを打ち消すかのごとく、国民の性格は非常に穏やかで、もの静かであり、空港から町中に続く道路脇の仏像にまで見事な花とお供えが飾られ、正にこの世の行きつく先はこの国ではないかと思われるほどだった。
さて、スリランカがなぜ、なつかしい気がしたかということだが、それは国民が敬虔な仏教徒であることに関係していると思う。私が、仕事でスリランカを訪れた頃、同国ではまだ「タミール・タイガー」というテロ集団が暗躍しており、不穏な空気が流れていた。それを打ち消すかのごとく、国民の性格は非常に穏やかで、もの静かであり、空港から町中に続く道路脇の仏像にまで見事な花とお供えが飾られ、正にこの世の行きつく先はこの国ではないかと思われるほどだった。
確かに、空気は熱い。東南アジアの他の国では、熱気を帯びた熱い空気の根底に潜む異様な不穏な空気が、ともすればすぐに爆発を起こすような空気が、どこにでも感じられた。にもかかわらず、スリランカでは、爆発する空気など微塵も感じられない。静謐な仏教徒の集団性だけが空中に漂っているように思えた。このスリランカ文化の根底にある習慣、しきたり、食べ物、考え方そのものに、昔どこかで遭遇したデジャブを微妙に感じとった日本人は、当時の私だけだったのだろうか。なにしろ、「米」が美味しい、「魚」も美味しい、心根は同じ仏教徒。その昔、イギリスの統治領だったので、紅茶が美味しい。これらすべてが、平穏な雰囲気の中に包みこまれていた。私が市場に外出することなく、唯一、白亜の海沿いのホテルのビーチ沿いでリラックスしたのはここだけかもしれない。
夜、レストランで海産物を前に、どれにするかとウェイターから問われた
食事と魚はどれも見事な最高級の食材で大きなボートの上にあふれんばかりに並べられていた。私は、ゆっくりと食事をとり、記念写真を撮影していた。ちょうどその時、夜空に稲光が閃き、雷が轟いた。その時、この轟音に、はっと私は我にかえって、スリランカの現実に戻った。美味しい食事も紅茶も、国内がまだテロ事件が続いていて、明日をもしれない何かの前兆であるかの如く、突然私の上に重くのしかかってきた。私のスリランカ訪問は、だいぶ以前のことで数十年前になる。現在では、テロ集団は完全に壊滅し、いなくなったので、国際ニュースの報道で取り上げられることはない。この平穏の世界となった今でも、未だに稲光は国民に仏教徒の安寧の地を保障していないのだろうか。たった一度の訪問だけだったが、私の心のどこかでスリランカ人を同邦人のように思い、何となく気にかかることは、平和になった今でも続いている。そして、これからもずっと、あの時の雷鳴とこの世の不信感は心の底に鳴り響き続けるだろう。
食事と魚はどれも見事な最高級の食材で大きなボートの上にあふれんばかりに並べられていた。私は、ゆっくりと食事をとり、記念写真を撮影していた。ちょうどその時、夜空に稲光が閃き、雷が轟いた。その時、この轟音に、はっと私は我にかえって、スリランカの現実に戻った。美味しい食事も紅茶も、国内がまだテロ事件が続いていて、明日をもしれない何かの前兆であるかの如く、突然私の上に重くのしかかってきた。私のスリランカ訪問は、だいぶ以前のことで数十年前になる。現在では、テロ集団は完全に壊滅し、いなくなったので、国際ニュースの報道で取り上げられることはない。この平穏の世界となった今でも、未だに稲光は国民に仏教徒の安寧の地を保障していないのだろうか。たった一度の訪問だけだったが、私の心のどこかでスリランカ人を同邦人のように思い、何となく気にかかることは、平和になった今でも続いている。そして、これからもずっと、あの時の雷鳴とこの世の不信感は心の底に鳴り響き続けるだろう。