東南アジアの⾷に関するコラム



アジアに広がるパンと珈琲の朝食文化
2023.06.06
2023年5号コラム
日本を含め、アジアにパンと珈琲の朝食文化が広がったのはいつのことだろうか。いずれにしても、アジアの伝統的な朝食は、ご飯、粥か、もしくは麺類であった筈だ。それがいつの間にか、欧米の如くパンと珈琲が広がり、現代では多くの人が朝食の定番であるかの如くパンと珈琲を食している。
朝食は1日の活力を漲らせるものだ。ゆっくりと新聞を読みながらとる朝食、友人と歓談しながらとる朝食、一人でロンガニーザ(フィリッピンのソーセージ料理)に舌鼓を打ちながらとる朝食、人それぞれ様々な状況であっても、朝食の取り方次第で、その日1日の素晴らしい幕開けになる可能性が秘められている。
マレーシアに数年住むと、いつの間にか様々な朝食スタイルを楽しむ自分がいるのに気づく。現地に住む人間には、パンとサラダなどを食べる欧州派もいれば、朝からカレーとチャイティーのインド派もいれば、粥やうどん、豚の耳やら内臓を煮込んだスタミナのつくマレー風中華などなど、極めて種類が豊富で多彩な朝食におどろかされる。
シンガポールやマレーシアで朝食に食べるものの一つに、カヤトーストの朝食セット(注:食パントースト以外にも、醤油に浸った半熟卵と濃い珈琲がつく)だ。カヤとは、ココナッツミルクと玉子で作るジャムのことで、これを食パンにつけ、バターをはさむ朝食は美味!これに玉子醤油と珈琲の取り合わせは、忘れられない朝食で、私は自宅の近くにこれを出すカフェがあったので、フィリピンのダバオで朝食として、良く食べていた。
朝食は1日の活力を漲らせるものだ。ゆっくりと新聞を読みながらとる朝食、友人と歓談しながらとる朝食、一人でロンガニーザ(フィリッピンのソーセージ料理)に舌鼓を打ちながらとる朝食、人それぞれ様々な状況であっても、朝食の取り方次第で、その日1日の素晴らしい幕開けになる可能性が秘められている。
マレーシアに数年住むと、いつの間にか様々な朝食スタイルを楽しむ自分がいるのに気づく。現地に住む人間には、パンとサラダなどを食べる欧州派もいれば、朝からカレーとチャイティーのインド派もいれば、粥やうどん、豚の耳やら内臓を煮込んだスタミナのつくマレー風中華などなど、極めて種類が豊富で多彩な朝食におどろかされる。
シンガポールやマレーシアで朝食に食べるものの一つに、カヤトーストの朝食セット(注:食パントースト以外にも、醤油に浸った半熟卵と濃い珈琲がつく)だ。カヤとは、ココナッツミルクと玉子で作るジャムのことで、これを食パンにつけ、バターをはさむ朝食は美味!これに玉子醤油と珈琲の取り合わせは、忘れられない朝食で、私は自宅の近くにこれを出すカフェがあったので、フィリピンのダバオで朝食として、良く食べていた。
珈琲に含まれるカフェインの覚醒作用が有害か、無害かという議論はさておき、カフェインの効果の一つに「習慣性(常習性)」があるということは良く知られていることである。日本に珈琲が上陸したのは、どんなに早くても明治時代の初期の頃であったと思われる。それが文明開化の訪れとともに、やがて朝食にパンと珈琲が当たり前の食習慣になった。このような習慣性の定着は、珈琲の魅力の一つとして朝の寝覚め効果としての覚醒作用がある(または、あると思いこまれている)からだ、と言っても過言ではない。
東南アジアの大国(推定人口2.7億人)、インドネシアは珈琲の生産地としても良く知られている。マンダリン珈琲、ジャワ珈琲など、日本でもインドネシアの珈琲豆が多くの人々に愛飲されている。インドネシアが珈琲豆の生産国であるため、住民も早くから珈琲を嗜んでいたことは想像に難くない。そこに、朝食に食パンを食べる習慣が加わり、パンと珈琲の朝食文化が根付いていった。
日本でも学校給食でまずパンがメインとなってから、急速に定着してゆくこととなった。これに、学校を卒業し、仕事についてから、パンと珈琲と組み合わせて朝食をとり、休息時に珈琲と菓子と共にとるようになるというのは極めて自然の流れであっただろう。これは、ただ単にカフェインの習慣性(常習性)が一因とばかりは言えない。日本人の欧米人に追いつけ追い越せの勤勉性は、珈琲とともに一服の休息を摂ることによって、はるかに拍車がかかり、増幅してゆく。それは、明治維新から高度成長期に至る過程で人々の生活習慣の中に広がってゆくのはごく自然の流れだ。
東南アジアの大国(推定人口2.7億人)、インドネシアは珈琲の生産地としても良く知られている。マンダリン珈琲、ジャワ珈琲など、日本でもインドネシアの珈琲豆が多くの人々に愛飲されている。インドネシアが珈琲豆の生産国であるため、住民も早くから珈琲を嗜んでいたことは想像に難くない。そこに、朝食に食パンを食べる習慣が加わり、パンと珈琲の朝食文化が根付いていった。
日本でも学校給食でまずパンがメインとなってから、急速に定着してゆくこととなった。これに、学校を卒業し、仕事についてから、パンと珈琲と組み合わせて朝食をとり、休息時に珈琲と菓子と共にとるようになるというのは極めて自然の流れであっただろう。これは、ただ単にカフェインの習慣性(常習性)が一因とばかりは言えない。日本人の欧米人に追いつけ追い越せの勤勉性は、珈琲とともに一服の休息を摂ることによって、はるかに拍車がかかり、増幅してゆく。それは、明治維新から高度成長期に至る過程で人々の生活習慣の中に広がってゆくのはごく自然の流れだ。
外国から文化を輸入し、それが人々の間で、一般的になれば、それをどういう形であれ他の外国に輸出するのは至極当然なことだ。私の家内の故郷は、フィリッピンの南端ミンダナオ島のダバオという都市だ。ここには、戦前、黄麻産業に携わったエリート商社員やら、この地を支配するために旧日本軍兵が多く(1説には5万人とも言われている)移り住んだ。かの地に、日本人が持ち込んだ文化の一つが、珈琲を飲む習慣だと言われている。
言わずと知れた珈琲の世界最大の消費国アメリカを模倣することが、当時「粋」だと考えられ、男性は、白いハットを被り、白いスーツ姿で、カンカン帽を被った令嬢とともに当時のアメリカ車を乗り回し、当地に住む日本人は、アメリカさながらの優雅な生活を送っていた。当然、フィリッピンにパンと珈琲の朝食文化が持ち込まれたのはこの時代であったのだろう。こうして、新しい時代の到来とともに、そのシンボル的なパンと珈琲の朝食文化が現地の人々に浸透していったことを想像すると、感慨深いものがある。
ちなみに、数年間私がダバオに住んでいた頃、カフェで硬くて丸いフィリッピン・パンをインスタント・ラーメンに浸して食べる若者が多くいたのに驚ろかされたが、この朝食はまだ続いているだろうか、もし続いているとしたら、外国文化に押し流されない伝統的な朝食文化として私は敬意を払いたい。
言わずと知れた珈琲の世界最大の消費国アメリカを模倣することが、当時「粋」だと考えられ、男性は、白いハットを被り、白いスーツ姿で、カンカン帽を被った令嬢とともに当時のアメリカ車を乗り回し、当地に住む日本人は、アメリカさながらの優雅な生活を送っていた。当然、フィリッピンにパンと珈琲の朝食文化が持ち込まれたのはこの時代であったのだろう。こうして、新しい時代の到来とともに、そのシンボル的なパンと珈琲の朝食文化が現地の人々に浸透していったことを想像すると、感慨深いものがある。
ちなみに、数年間私がダバオに住んでいた頃、カフェで硬くて丸いフィリッピン・パンをインスタント・ラーメンに浸して食べる若者が多くいたのに驚ろかされたが、この朝食はまだ続いているだろうか、もし続いているとしたら、外国文化に押し流されない伝統的な朝食文化として私は敬意を払いたい。