東南アジアの⾷に関するコラム

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たかが珈琲一杯されど至福の一杯

2023.06.02
2023年3号コラム
たかが珈琲一杯されど至福の一杯

 この世の中にもし珈琲が無かったら、と想像したことがありますか。何十年と生産から販売まで珈琲産業に関わってきた人だけではなく、珈琲が大好きな消費者から珈琲なんてなくても生きられるさ、とつぶやいていた人が、何か生活にほっと一息いれたい時、既に珈琲がお茶に代わってリフレッシュするための必需品であり、これが無いと生活が円滑に回らなくなるかもしれません。
 昔々、思い起こすのも嫌なベトナム戦争時代に、珈琲が米軍の軍需物資扱いを受けていたことをご存じでしょうか?武器や戦車と同じく、珈琲を戦地で調達できないことは、米軍兵士のメンタル面において徹底的な戦意喪失につながったと聞いています。それほど、世界最大の珈琲消費国アメリカの人の当時の生活の一こまに、珈琲は不可欠な存在と位置付けられていたからです。
 と同時に、同じ場所で飲む一杯の珈琲の値段が、今日は100円、翌日500円と大きく変動し、時には今日から珈琲は売っていません、と言われた場合のショックを想像されたことがありますか。私達が、店で買ったり、飲んだりしている珈琲は、非常に大きな視点で見ると、珈琲を必要とされる側と、珈琲を提供したい側のバランス、これを需給関係とか需給バランスとか言いますが、この上で価格が定まり、安定的な供給がなされています。
たかが珈琲一杯されど至福の一杯

 これまでに書いたことは、ごくあたり前のことですが、こうしたことは意外と意識されず美味しい珈琲を嗜むだけ人は多いでしょう。それで結構なのですが、こうした需給バランスに沿って生活の糧(収入)を得ている人達にとっては、この需給関係って非常に大事な死活問題なのです。生産者は、消費者の元に最高品質の、美味しい珈琲を沢山届けたいと常に願っていますが、珈琲の木は自然の影響を受けやすく、そうとばかり言えません。最大の生産国ブラジルで、旱魃の影響で珈琲豆が不作だったりすると、珈琲豆の値段のコントロールがきかなくなります。これは国際商品である石油や銅などの需給関係と同じようなものです。
 珈琲の世界では、こうした珈琲豆の需給バランスの動向を監視するため、1962年から国際コーヒー協定(注:現協定は2007年協定の延長線上にあります。)というものがあります。私達が何気なく舌鼓を打つ珈琲豆の流通の裏で、毎年ロンドンで国際会議が開催され、そこで交換される需給に関する情報などが、どれだけ生産者と消費者の間の珈琲価格と供給安定に影響しているかは、容易に想像できるでしょう。私達が、美味しい珈琲をいただける背景には、こうした国際会議(国際コーヒー協定理事会)で協議を重ねている各国政府代表の努力の賜物があると言っても過言ではありません。
 まあ、こうした難しい話はさておいても、これからも美味しい珈琲を存分に堪能し、生活にフルチャージしようではありませんか。