東南アジアの⾷に関するコラム



この世の桃源郷「カトマンズ」
2023.07.20
2023年28号コラム
私がフランス語を学び始めた頃、日本ではフランス文化の黄金時代だった。
当時フランスでは、既に他界した有名な俳優やシャンソン歌手が大活躍していて、都内にもシャンソンを歌って、聞かせる店が結構あった。また、仏映画が映画館で上映されていて、現在の米やアニメ映画に匹敵するほど、多くの若者が押し寄せていた。
こんな過ぎし日の日本は、東南アジアとの関係が薄いので、決してコラムに書くことはないだろうと。つい最近まで思っていた。が、最近、仏女優ジェーン・バーキンの訃報に接して、一つだけその頃の思い出が記憶の底から蘇ってきた。私にとって、ジェーン・バーキンと言えば、映画「カトマンズの恋人」がすぐに私の脳裏に思い浮かぶ。今となっては既に死語の「ヒッピー」全盛期の映画で、青春時代の私はこの「自由な生き方」に心をときめかした。兎に角、私は、若さから、金銭欲とは無関係な、この映画のサイケで退廃的な世界にあこがれ、いつしかカトマンズに行ってみたいと思いを抱き続けていた。
当時フランスでは、既に他界した有名な俳優やシャンソン歌手が大活躍していて、都内にもシャンソンを歌って、聞かせる店が結構あった。また、仏映画が映画館で上映されていて、現在の米やアニメ映画に匹敵するほど、多くの若者が押し寄せていた。
こんな過ぎし日の日本は、東南アジアとの関係が薄いので、決してコラムに書くことはないだろうと。つい最近まで思っていた。が、最近、仏女優ジェーン・バーキンの訃報に接して、一つだけその頃の思い出が記憶の底から蘇ってきた。私にとって、ジェーン・バーキンと言えば、映画「カトマンズの恋人」がすぐに私の脳裏に思い浮かぶ。今となっては既に死語の「ヒッピー」全盛期の映画で、青春時代の私はこの「自由な生き方」に心をときめかした。兎に角、私は、若さから、金銭欲とは無関係な、この映画のサイケで退廃的な世界にあこがれ、いつしかカトマンズに行ってみたいと思いを抱き続けていた。
それから、十数年がたった、結局、カトマンズにはこれまでに2回訪れた。最初は、全くの個人的な無銭旅行で、ヒッピー並みに安ホテルに泊まり、レンタルバイクを借りてカトマンズの周囲6キロぐらいの細い山道を走っては、観光しまくった。
食のコラムとして印象深かったことは、ここの地ビールと地酒(スピリット)だ。だいぶ前のことなので、カトマンズは舗装などなされておらず、日中は自動車がたてるほこりの中で人々は右往左往しているようだった。朝と夜だけが、ほこりもおさまったが、夜は頻繁に停電を繰り返し、油ランプの中で、夕食をすることは常だった。ある晩、私は一人で、レストランに食事に出た。案の定、停電で、何を食べたか全く記憶にない。唯一、特大ジョッキにいれられた地ビールだけが心の記憶の底にやきついている。ジョッキの中は麦と泡だらけで、長いストローで飲んだが、甘くて美味しくて、いくら飲んでも飲みきれない。この地ビールの名前は思い出せないが、、、大層ヨパラッタことだけは覚えていて、気が付いたら朝に自分のホテルの一室で横になっていた。
食のコラムとして印象深かったことは、ここの地ビールと地酒(スピリット)だ。だいぶ前のことなので、カトマンズは舗装などなされておらず、日中は自動車がたてるほこりの中で人々は右往左往しているようだった。朝と夜だけが、ほこりもおさまったが、夜は頻繁に停電を繰り返し、油ランプの中で、夕食をすることは常だった。ある晩、私は一人で、レストランに食事に出た。案の定、停電で、何を食べたか全く記憶にない。唯一、特大ジョッキにいれられた地ビールだけが心の記憶の底にやきついている。ジョッキの中は麦と泡だらけで、長いストローで飲んだが、甘くて美味しくて、いくら飲んでも飲みきれない。この地ビールの名前は思い出せないが、、、大層ヨパラッタことだけは覚えていて、気が付いたら朝に自分のホテルの一室で横になっていた。
相当ご機嫌だったらしく、大枚はたいて、部屋まで連れていってもらったようだ。私は少々ワインを嗜む程度の下戸でこの時ほど気持ちよく酔っぱらった記憶は、私のこれまでの生涯でない。正に、この時からカトマンズは私にとって「桃源郷」になっていた。その後からも、たびたびこの時の楽しさを、思い起こしていたが、最近2回目の旅行では、尊敬する方(日本人)のお供で行ったので、国軍の国家的儀式にスーツ姿で参列するなど羽目をはずすわけにも行かず、初めて訪れたほどの感動はもうなかった。最近、ここにも、ネパール珈琲が作られていることを知り、次回はこの「永遠の桃源郷」の地ビールならず「地コーヒー」を堪能しに、また行きたいものだと密かに企んでいる。